「待てること」の価値

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クラブ共育学舎BCIの小杉ですクラブ

今日も一段と寒くなっていますが、風邪は引いていませんか?
明日までは寒さが厳しくなるようなので、くれぐれも体調にお気を付けください。

さて、今回は「待てること」の価値、という内容で書かせていただきます。

最近よく赤信号でも横断歩道を渡る大人の姿を目にします。
この光景を目にすると、私は「『待つ』というゆとりを持てない大人が増えたのだな」と感じてしまいます。

私なりの推察ですが、待てない大人が増えた背景には「社会的に効率ばかりが求められるようになったこと」が非常に大きいように感じています。
社会に出て、常に効率よく結果を出すことが求められる立場になればごくごく自然な流れなのかもしれませんが、子育てという視点から考えると「待てない」ということに対して非常に怖さを感じています。

私の中で「待つ」=「遠回りを受け容れるゆとりを持つこと」ではないかと思っています。
子どもに関わることで言えば、「靴ひもを結べるようになった子に、自分で靴ひもを結ばせてあげること」「『意味が分からないから教えて!』と言われたことを、本人に調べさせてみること」「テストには直接関係ないけれど、気になったことを調べてみること」など、少し時間はかかるけれど、敢えて子ども本人にさせてみること、だと私は思っています。
非効率を楽しむこと、とも言えるかもしれません。

もちろん現実問題として、上記のように待つことができない時もあると思います。
その時はもちろん仕方がありません。
しかし、「待つゆとりがある時に、待てない」というのは子育てにも効率を求めてしまっている部分が少なからずあるのではないかと思います。
そして、それが子ども達にも伝わり、子ども達も効率ばかりを求めるようになっていく、というのが実際に現在起こっていることだと思います。

子ども達と関わっていると、「時間がかかることを嫌う子」が本当に増えています。
これは憂うべき事態ではないか、と私は感じています。

学びに限って言うと、「Soon learnt, soon forgotten」ということわざもあるように、苦労せずに学んだことはすぐに忘れやすいです。
さらに、「非効率なことの中に実はおもしろさが隠れている」ということが非常に多くあります。
言い換えれば、それは「時間をかけないと、見えてこない」ということです。

効率が優先される世の中だからこそ、「時間をかけること」の価値が再認識される必要があるのではないか、と私は思っています。

私がカナダにいた時にホームステイ先のお母さんに言われて、ハッとさせられた言葉があります。
「雄太、たかだか80年の1年よ。
そんな深刻にならないの。」

日本は少し効率ばかりを優先しすぎているのかもしれませんね。

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