ダメな自分も愛せるか

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クラブ共育学舎BCIの小杉ですクラブ

気が付けば、8月も下旬に差し掛かっています。
今年は梅雨と猛暑が入れ替わったような天候で、体がなかなか追いついていないように感じます。
夏風邪には気を付けてくださいね。

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さて、今回は「ダメな自分も愛せるか」というテーマでブログを書いていきます。

日々子ども達と関わる中で、「自分を信じられる子」と「なかなか自分を信じられない子」がいます。

「その違いは何なのだろうか?」と感じて子ども達を観察していると、自分を信じられるかどうかは「ダメな自分も含めて愛せるかどうかによる」と感じます。

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人間だれしも得意と苦手があり、長所と短所があり、良い部分とダメな部分があります。
そこで「これもできた」「あれもできた」とプラス面に目を向けるのか、「これもできなかった」「あれもできなかった」とマイナス面に目を向けるのか、そのどちらを選択するかで自分を信じられるかどうかは変わるように感じるのです。

私自身もかつてそうだったので非常によく分かるのですが、自分のマイナス面ばかりに目を向けて自分を卑下する人は、周りから「そんなことないよ」と言われることで安心を得たいのだと思います。
ただし、その「そんなことないよ」はあくまで他人の視点であって、自分の視点ではない。
すなわち、その状況での自分は「他人の中を生きる自分」でしかないということです。

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自分のマイナス面ばかりに目を向けて自分を卑下する人は、ただ自分のプラス面に目を向ける「勇気(覚悟とも言えるかもしれません)」が持てていないだけだと思っています。

自分のプラス面に目を向ければ、今まで周りからもらえていた「そんなことないよ」がもらえなくなるかもしれません。
今まで他人任せだった自己評価を、今度は自分で自分自身を掘り下げて評価する面倒くささも出てきます。
「自分を卑下して、周りから否定してもらえる」、そんなぬるま湯につかり続けていることの方がはるかに楽です。

しかし、そのぬるま湯につかり続けることが果たして健康的かというと、私にはそうは思えません。
自分の良い部分もダメな部分も分かっている人の方が、私の経験上はるかに「人ととしてのおもしろみ/魅力」があるように感じます。

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人はもともと「自分を信じられる状態」で生まれてくるのではないか、と思います。

自分を信じられなくなるとすれば、それはきっと後天的な結果です。
つまり、子どもが自分を信じられない状態になっていたら、それは我々大人がそのような評価を下してきたからだと言うこともできます。

私もついつい「子ども」という言葉を使ってしまいますが、彼ら/彼女らは非常に自分自身が見えています。特に、ダメな部分に関しては。
本人が一番わかっていることをわざわざ周りが指摘するよりも、「今日はこれができたね」「あなたにはこういう良さがあるわね」とプラス面を伝えてあげた方がバランスが取れるのではないか、僕はそんな風に感じています。

もちろん大人についても、同じことが言えると思います。

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自分を信じることは、学生の間も、社会に出てからも必須です。

子ども達には、自分を信じられる状態のまま、育っていってほしいな、と感じます。

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受け容れる

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今日も一段と寒くなっていますが、風邪は引いていませんか?
今週は金曜まで寒さが厳しくなるようなので、くれぐれも体調にお気を付けください。

さて、今日は「受け容れる」というテーマで書かせていただきます。

私自身「受容」という言葉は幾度となく耳にしているのですが、世田谷区の傾聴講座で「受容」という言葉が出てきたので、改めてそれについて色々と考えてみました。

「受け容れる」ということに関しては、私は「しくじり先生」に出演できるのではないかと感じるほどの失敗をしています…笑
そのため、長いですが同じ失敗をしないように読んでいただけるとうれしいですぴかぴか (新しい)

私の中で「受け容れる」ということについて考える時、どうしても外せないのは「妹の高校受験」です。
思い返すと今でも「無理をさせていたな」と悔恨の念にかられるし、今まで働いてきた中で1番の失敗だと思っています。

少し私の家について話させていただきますが、私の家は男、男、男、女の4人兄弟で、上3人が都立高校に進学しています。
それもあり、妹も同じように都立高校を志望していていたので、受験期に勉強についてはよく相談を受けていました。
その当時、妹なりに「兄三人が都立高校に行ったから、自分も都立高校に行かなければ」とプレッシャーを感じていたのは分かっていたのですが、妹が勉強に関して上3人に劣等感を感じていることも知っていたため「何とか受からせて、負い目を感じないようにしてあげたい」という気持ちを優先して、あまり精神面をケアしていませんでした。
それがそもそも失敗だったと、今になっては感じています。

もう1つ自分の中で「最悪だった」と感じるのは、当時の私は「『頑張っている妹』だけしか受け容れたり、認めようとしていなかったのではないか」と、振り返ると感じてしまう点です。
それによって妹は「もっともっと頑張らないと」と余計なプレッシャーを感じていたのではないかと思います。
その時妹に「そのままで良いんだよ」と受け容れられていたら全然違った結果になっていたのではないかと思うので、そこに関しても本当に後悔をしています。

幸い妹との関係は良好なので良いですが、やはり自分なりに非常に反省するきっかけになる出来事でした。

妹の受験の経験から感じるのは、人間は誰しも承認欲求があるので、人から「受け容れてもらう」という経験は本当に重要です。
特に、年齢が低ければ尚更です。
ただし、受け容れるのは「その人(の存在)そのもの」であって、「勉強が良くできる~」とか「スポーツができる~」とか「言うことをよく聞く~」とかのように「条件付きの受容ではない」、ということ。
それをはき違えると、私のように人を潰しかねません。

子育ては理屈じゃないこともたくさんあると思うますが、お母さん/お父さんにはまず「お子さんのことを無条件に受け入れてほしい」です。
それが子どもにとって何よりの安心になり、心のエネルギーにつながります。

子どもがいないのであくまで推測になってしまいますが、妹が生まれた時のうれしさを覚えている身としては、受け容れるというのは「お子さんが生まれた瞬間に感じた感情」なのではないかと思います。
「何もできなくても愛おしい」というような。
その感情を何歳になっても、お子さんに持ってあげてほしいです。
それが子ども達にとっての何よりの拠り所になります。

もし一時的に受け容れられなければ、周りに受け容れてもらえば良いのだと思います。
意外に違った視点からの「受容」があって、きっとハッとするのではないかと思います。
近いからこそ気付けないありのままの良さが、誰にでもあります。

そして、何より「自分自身を受け容れてあげること」も同じくらい重要なのだと思います。

長くなってしまったが、大切な人を「受け容れる」きっかけにしていただけると非常にうれしいですぴかぴか (新しい)

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